らじおねっとトーキョーの「これから」

らじおねっとトーキョー主宰者です。

ブログにお越し下さってありがとうございます。

 

新型コロナウィルスについては油断できない状況ではありますが、日本全土で緊急事態宣言が解除され、東京の街には少しづつ人気が取り戻されつつあります。

弊局においてはリモート配信で対応していましたが、6月7日の「ラジオ実弾生活」よりスタジオでの生配信を再開する予定です。よろしくお願いいたします。

「ラジオ実弾生活1」パーソナリティのインコさんさん&もっちさん
「ラジオ実弾生活1」パーソナリティのインコさんさん&もっちさん

らじおねっとトーキョーは構想期間1年を経て2017年7月【ラジオ実弾生活】から番組配信をスタートしました。配信の方法やアーカイブの提供方法については古参リスナーの方にはお察しいただけるかと思います。紆余曲折ございました。主宰者の立場としてはこの3年間は思い通りの結果を残せなかったと言うのが正直なところです。

 

弊局の活動を始めるにあたって一番大切にしたかったことがあります。

 

「報酬」です。

 

2004年頃にインターネットラジオの存在を知り関わるようになり、またYoutubeやUstream等の動画配信サービスの台頭により配信に本気で力を入れていました。しかし、結果としては自分の生活を支える収入を得るには程遠く、むしろ支出の方が多かったです。関わっていたインターネットラジオ局においても報酬はなく、交通費等すべて実費。ラジオ局の舵取りを任せられている状態でしたから、乗っ取りなど如何様にもできたかもしれませんが、そんな太い神経はありませんし、他にも要因はありましたが主宰者がそれほど本気で取り組んでくれるように感じなかったことが決め手となり、退局させてもらいました。ただ、ラジオへの想いは衰えていなかったので、自分で局を立ち上げようと思い立ちました。それが「らじおねっとトーキョー」誕生の経緯です。収入がなかったことが一番辛かったので、らじおねっとトーキョーでは関わってくださる方に苦しい思いをさせたくない。相応の報酬をお渡ししたい。報酬をお渡しするには収入がなければ成り立たない。

2001年5月頃、ドラムセットに座る弊局主宰者の姿
2001年5月頃、ドラムセットに座る弊局主宰者の姿

1990年代の音楽ビジネス全盛期に少年から青年になっていった主宰者は「バンドでメシが食えたらいいなあ。」という思いを持ちました。バンドを結成したり、加入したり、色々試行錯誤しましたが、最も精力的に活動できたバンドではバンドメンバーとの意識差が深刻でした。就職し仕事や家庭優先で活動する人々と、大学を中退しバンド以外のあらゆることを犠牲にしバンドに取り組んでいた人間が同じモチベーションでやっていくことは困難でした。

 

「好きなことで収入を得る」ことについてはあまりにも難しい。今日までの人生でイヤという程、肌身で感してきました。

一方「好きでもないことで収入が得られている」という現実もあります。収入がない状態に比べたら幸せなことですし、現在のらじおねっとトーキョーの活動を支えているのはこの収入であることを考えれば感謝すべきことです。しかし、収入(サラリー)を得るために会社に1日8時間拘束され、会社への往復は3時間以上。複雑な思いもあります。

らじおねっとトーキョー以前。2014年頃、東京・下北沢のカフェにて生配信してました。
らじおねっとトーキョー以前。2014年頃、東京・下北沢のカフェにて生配信してました。

らじおねっとトーキョーは2020年7月に開局3周年を迎えます。

 

フレンドファウンディングPolcaでのご支援や、アーカイブの購入などでリスナーの方々に支えていただき今日まで来れたことに大変感謝しております。この活動のために開局以降常に20万円〜30万円の借金を主宰者は抱えていました。夏と冬のボーナス時に一気に返済し乗り越えてきましたが、現在は40万円に迫る勢いです。新型コロナウィルスに関わる特別給付金は借金の返済に充てます。しかし、40万円を超えたら、らじおねっとトーキョーは休止せざるを得ません。

らじおねっとトーキョーのスタジオ
らじおねっとトーキョーのスタジオ

らじおねっとトーキョーのこれからは前途多難な気がしていますが、聞いてくださる皆様、関わってくださる皆様のお耳を幸せにできるよう力を尽くします。

 

今後ともよろしくお願い致します。

 

らじおねっとトーキョー主宰者